mizutoishi

メモ / 日記

腹が立った話

今日ある人と話してすごく腹が立ったからこの感情がどこから来たのかよく考えてみた。

まず腹が立ったのはその人と話してからしばらく経った後で、会話の内容を反芻していて一人でいる時に湧き上がってきたような感じだった。

人に対してあまり怒りをぶつけたことがないのはその場で即座に怒りを感じることがあまりなかったからで、会話の最中に違和感は感じていたものの、相手が何を言っているかよくわからないので、後々よく考えたら腹立つということを一人でしていることが多い。

あと前から少し思っていたのは自分が嫌いになる人は自分にどこか似ているということだった。この人嫌いだなーと思いながら話したりしていて、これも一人になってから相手の嫌なところをぐちぐち考えていると自分の嫌なところと当てはまるということが多かったからそう考えるようになった。

頭の回転が遅いからこういうことになるのかと思うけど、その場でもめたりということがあまりないからこれでいいのかとも思う。

嫌いだとかっていう気持ちは大抵自分一人の時にその人のことを考えていて起こってくる気持ちで、自分が相手を憎しみたいが為にその気持ちを用意しているみたいな気持ちにもなってくるので、嫌いな人が出来そうなときはひたすら頭の外にその人を出してしまうのが良いのかと今は思っている。頭の中でぼこぼこにしていた時期もあったけど時間が無駄だと思うようになりました。何の生産性もない。むしろそういう相手がいることで自分を見返すきっかけになるな、と思えるようになった。

そういえば観たいと思っていた映画の『怒り』は結局観にいかなかった。DVDを借りようと思います。

点と点

全部繋がっていると思うと見え方が変わってきた。

 「本を読むことで読者は自分を眺めている。光の当たらなかった場所に気づくことができる。」というような小説家の言葉がどこかで読んだ作家さんの話していることと似ていて、どんな形であれ、作品と呼ばれるもの(絵、写真、物語とか)は自分個人では気付けないことに気付きを与えてくれるんだとようやくわかったと思う。

作品そのもので完結するのではなくて、受け手の想像力が作品の示しているところにひとりでに向かうというか。

糸井さんのツイートでコピーライターの仕事もそういうことなんだなと初めて気が付けたと思う。言葉遊びのような意味ありげなものがコピーだと思ってしまっていたけど。

 PHILIPPE WEISBECKERの日本の道具の画集を買って眺めていて、大部分が単調であってもほんの一部分に美しさやそのものらしさがあると、それぞれがお互いを高めあってとてもよく見えるということもわかった。

劇的なサビだけで作られた曲は本来のメロディーの魅力を発揮できないなと。人間は慣れてしまうから。情熱の薔薇のサビは一度きりだからあれだけ響くんだなとこれもようやくわかった感じがする。

 少し違うかもしれないけどベーコンが目指していたことを自分もしたいとわかって、だから好きなんだなと少し納得がいった。

 バガボンドの武蔵が目にしたものを剣に応用できないか考えるシーンが頭に残っている。

 

 

耳鳴り

気にしなくていいようなことがいつまでも気にかかっている。大したことじゃない、こんなのはすぐ忘れる と思い込むとその時点で変な認識が生まれてそのことを忘れなくなるということがある。本当に忘れたければ他のことにのめり込むべきなんだけどそれがうまくいかない。

ストレスはエネルギーで、エネルギー自体には正も不もないのでそれをうまく使えるように今回のことが起こったんだなと思うことにする。

久々に絵を描いた。作業スピードを上げないと今年が終わってしまう。